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Lvol15「学問の神様 太宰府天満宮へ行こう(1/2)」
太宰府天満宮 vol.15
学問の神様 太宰府天満宮へ行こう
   
味酒安則さん味酒 安則(みさか やすのり) ◎プロフィール
太宰府天満宮禰宜・総務部長。1953年福岡生まれ。菅原道真の門弟味酒安行の42代目の子孫。太宰府天満宮総務部長の傍ら、福岡女子短大教授として博物館学を教える。講演・出版活動も多数。
   
 
優れた詩人で教育者でもあった菅原道真

菅原道真像(太宰府天満宮蔵) そもそも、学問の神様として祀られている菅原道真とはいったいどのような人物だったのでしょうか。味酒さんによると、「優れた詩人であり、学者であり、教育者であり、そして優れた政治家でもありました。多くの資料から実直で清廉潔白な方だったことがうかがえます」とのこと。

 今から1100年ほど前の平安時代、宇多天皇が政治を行うための相談相手となったのが、菅原道真でした。道真は、5歳で和歌を詠み、11歳で漢詩を作るほどの秀才。18歳で役人養成機関であった大学に合格し、33歳という若さで、漢詩や漢文、歴史などを教える文章博士となりました。これらのことから、現在、学問の神として祀られているわけです。

 897年、宇多天皇はまだ13歳の皇太子に天皇の位を譲ります。幼い醍醐天皇に代わって、左大臣藤原時平と右大臣菅原道真の二人が政治を行うことになるのですが、道真は、時平をはじめ他の貴族からその才能を妬まれて反感を買い、901年、突然、天皇への謀反を企てたという無実の罪で大宰府に左遷されてしまうのです。左遷といっても流罪に等しい生活。失意の中、道真は、903年2月25日、59歳で亡くなりました。

道真公を運んだ牛 道真の亡骸は、京から従ってきた門弟の味酒安行によって、大宰府の東北の地に埋葬され、それが現在の太宰府天満宮のもととなりました。「ですから、太宰府天満宮のご本殿の下は道真公のお墓なんです」。この門弟味酒安行から数えて42代目の子孫が味酒さん。実は、明光Vコーポレーションの肥川社長も味酒安行の子孫。肥川家は江戸時代の初めに味酒家から分かれ、長崎でシーボルトに医学を学び御殿医でもあった医者の家系だったとか。真摯に教育に取り組み次世代を育てる姿勢は、平安の昔から代々受け継がれてきたものなのかもしれません。

雷は道真の祟り
 道真が亡くなった後、京の都では、藤原時平をはじめ、道真の追放に加担した人々が次々に変死します。醍醐天皇の住む清涼殿への落雷で多くの死者が出て、醍醐天皇もショックで亡くなると、人々は道真の祟りだと畏怖し、雷や天候をつかさどる神である「天神」として祀るようになったのです。「雷神は、京では悪神ですが、その他の土地では、雨を呼ぶ農耕神として祀られていたのです。恵みの神だからこそ、長い間信仰が続いてきたんですね」。

菅原道真像(太宰府天満宮蔵)  天神様が、全国的に学問の神様として定着するのは江戸時代。「江戸の三大歌舞伎と言えば、『義経千本桜』、『仮名手本忠臣蔵』、そして『菅原伝授手習鑑』という道真公の左遷を扱った歌舞伎。江戸の大教育ブームで、道真公もブレークしたんですね」。読み書きやそろばんを教えていた寺子屋の中には、道真を描いた天神様の掛け軸をかけて学業の上達を祈願したところもあったようです。

ミニ知識【くわばら くわばら】
 中国・唐の文化を好んだ道真は、絹の着物を好んで着ていたため、その領地には蚕のえさとなる桑畑が多く、「桑原」と呼ばれていました。雷が京の人々を震え上がらせた時、この桑原の地にだけは落雷がなかったという話にちなんで、雷が鳴ると『くわばら、くわばら』と唱えるようになったと言われています。

受け継いだものを次世代につなぐリレーのランナー
 太宰府天満宮の参拝者は年間約650万人。初詣での時期には受験生も多く、正月3が日だけで約200万人にも上ります。その姿を見続けている味酒さんに現在の教育についてもお聞きしました。

 「江戸時代、知育・徳育・体育・美育の四育のバランスが大切だと言った寺子屋がありました。これは現在にも言えることだと思います。知育や徳育ももちろん大切だけど、現代の子どもたちには特に美育が足りないんじゃないかな。美しいものを見て美しいと感じる、口に出すというのは大切なこと。美術館や博物館にどんどん足を運んでほしいですね」。

 昨年10月、太宰府天満宮の近接地に九州国立博物館が開館しました。道真から数えて39代目の子孫である現在の宮司・西高辻信良さんと味酒さんとが「文明のクロスロードである太宰府になんとしても国立博物館を誘致する」という先代宮司・西高辻信貞氏の想いを受け継いで誘致活動を行った結果です。お二人は同い年。東京の大学に通っていた頃は、共同生活で苦労を分かち合ったというその関係は、道真と味酒安行の関係に重なります

味酒安則さん 「我々は、リレーのランナーのようなものだと思っています。受け継いだものを良い状態で次世代につないでいく」。「便利・快適を求めたのが20世紀なら、21世紀は自然と共生し、自然に感動する時代じゃないかな。私たちは、このような白衣、袴姿で神社を守ることで、自然や日本人の心を守り続けているのだと思います」。

 社会の状況に合わせて、変えるべきもの、残すべきものを見極め、より良い形でバトンタッチする。その姿勢は、私たち子を持つ親や、教育のあり方にも共通するのかもしれません。

 寒さがだんだんと緩んでくる頃から、太宰府天満宮は色鮮やかな梅の花とその芳香に包まれます。本殿の前の「飛梅」は、京から道真を慕って飛んできたと言われており、境内の約6000本の梅の中で、最も早く花を咲かせます。これも、1100年の歴史の中で変わらないものの一つ。ぜひ、太宰府天満宮に足を運んで、歴史の息吹を感じてください。

九州国立博物館 味酒さんに聞く、ココに注目!
ミニ知識【梅ヶ枝餅】
パリパリの梅ヶ枝餅 太宰府天満宮のお土産と言えば、梅ヶ枝餅。つぶあんを餅でくるみ、表面を香ばしく焼いたものです。その昔、不遇の暮らしをしていた道真に、老婆が梅の枝に巻いた餅を差し上げて元気付けた、という話にちなんでいます。
 現在は数十件のお店が参道に軒を連ねていますが、大きさや粉の割合などが統一されているそう。お土産にもいいですが、焼きたてのパリパリをいただくのがおすすめです。
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